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140字小説とそれにまつわる私の随筆

  • 執筆者の写真: 下村ケイ
    下村ケイ
  • 6月10日
  • 読了時間: 8分

140字小説とは1ツイートで完結する物語のことです。私の場合、ハッシュタグである「#140字小説」を含めた文字数で書いておりました。


今回は、5つの140字小説を掲載しつつ、それにまつわるエッセイらしきものを書きました。また、その140字小説を元に制作した動画もYouTube上にございます。ずんだもん氏が朗読しています。もし気になった方は是非ご視聴ください。


「円周率」



円周率は小数点以下に数字が無限に続き、尚且つ循環しない。

故に、どんな数字の列も理論上そこに存在し得る、と言う話をどこかで聞いた記憶があります。

例えば512810410だったり気になるあの子の電話番号だったり。

今ならSNSのIDとかになるのだろうか。

さりとてアルファベットも10進数の数字に置き換えることができるため、これもやはり円周率に内包されるのです。


もしもこの世界の全てが言語に類するコードで記述されているなら、

これらは全て多種多様な計算によって10進数によって置き換えることができ、

すなわち、円周率に内包されるのです。


ならば話をひっくり返し、

円周率をつぶさに分析し、そこに意味深に読み取れた幾桁の数字の列を相応しい言語に複合することで、

気にかけている事象の行く末を予見したり、

未だ誰も知り得ない真理を発見したりできるのではないでしょうか。


その確かさで言うのなら、

この物語における飛躍は、

恐らく、

「私」が円周率に迷い込んでしまったことでしょう。


円周率は個人の気持ちや思惑で小数点以下が変動したりはしない。

その証拠は、πの発見からどれだけの人間が生まれたり死んだりしても既知の数列が覆されなかったことから見ても明らかです。


だとしたら、なぜ「私」は円周率の中に迷い込むことができたのか。


もしかしたら、円周率に記された真理や法則に囚われるあまり、

その人の存在そのものが真理や法則に収斂してしまったのかもしれません。


そして、収斂に窮極があるなら、それは決して何事にも改変され得ない状態なのでしょう。

一抹の揺らぎも介在しない世界は平穏ですが、絶対的な平穏に対して人間は——少なくとも「私」は非力だったようで、

そんな息苦しい袋小路から抜け出すために、まず誰かに自分を見つけてもらい、のみならず理解してもらう必要があった。

そのためには、不完全な言語を用いるよりは、どんなものよりも身も蓋もない正解そのものである円周率にこそ、蜘蛛の糸を求めたのかもしれません。



「Sign」



考えてみればなぜ「黒猫は不吉の前兆」なんてイメージが頭にあったのか。

その根拠を知らなかったため軽く調べてみたのですが、なんでも魔女狩りが盛んだった頃、黒猫は魔女の使い魔と言う噂があったようです。

なんでそんな噂が?

更に検索を続けると、浮かんできたのは教皇グレゴリウス9世(誰?)彼は1232年に「ラマの声」なる教皇勅令を発表したそうです。

当時キリスト教はローマ教皇に対する絶対的な服従を求めていたらしく、さりとて欧州の辺境では完全にキリスト教が普及していなかったらしく。旧来の宗教が根強く残っていたそうな。


日本を筆頭とする多神教が外来神様と接触した時これを柔軟に変容し受容する余地があったのに対し、

キリスト教と言えば生え抜きの一神教であり、旧来の宗教に出てくる神様だとかは、これを悪者として描かなければ、唯一神の名が廃ってしまいます。


「キリスト教以外の神を信じるなど悪魔を信じるも同然だから、 

正しい教えと正しい教えを司る教皇に従ってね」


と言うのが、先程書いた「ラマの声」の主旨だそうです。

その中で、黒猫は「サタン(悪魔)の忠実な下僕であり、魔王ルシファーは悪魔崇拝の儀式で黒猫と化す」

なんて記述があったようです。


どうやら当時のケルト人達の間では黒猫を神秘的な存在だとみなす風習があったようで、

大方、その神秘性を徹底的に邪悪なものだと断定することで、

「じゃあ何が神秘的なのか!?」

「キリスト教の神だ!」

と言うような誘導をする思惑があったのでしょう。


こうして「黒猫=よろしくないもの」と言うイメージが生まれたようです。


しかし、日本では黒猫は「暗闇でも目が見える」と言うことから、

むしろ魔除けや商売繁盛をもたらす存在として大切にされていたそうです。


場所が変われば、例えどんなに根強い印象さえ容易にひっくり返ってしまう。

もしかしたら私が最上級の好青年と解釈される土地もあるかもしれず、

それが地球上に存在することを願ってやみません。

もしもそんなユートピアが太陽系の外にあるのだとしたら……

モテるためだけに恒星間宇宙船を建造し、

迸るリビドーと承認欲求に導かれるままに銀河を進むスペースオペラでも書けば良いと思います。



「サイレン」



幼いころ、無論門限は5時でした。

5時になるとどこからともなく響くメロディに、何の疑問も持っていませんでした。

概して日常とはそういうものなのでしょう。


しかし、長じてから夕焼けに謂れもなく覚える懐かしさの中に、これまた謂れのない恐ろしさを抱くようになってから、

そこに日常の皮を張り付けて必ず付いて回るメロディに幾ばくかの不信感を抱くようになりました。


そのタイミングに前後して、あれは有事の際にそれを知らせるためのスピーカーの点検も兼ねている、

ということを何かで知りまして。


全ての人間が経由したであろう、

今更語るまでもない日常の薄皮一枚隔てたそこに、

世界の終わりに関連した思惑が広がっているという皮肉にも似た事実。


懐かしさと正体不明の恐ろしさがあたたかい血溜まりのような夕焼けに溶けて、

そうして知覚される氷山の一角が、あのメロディなのでしょう。



「豊かなる衰退」



罪悪感を消す薬があれば、私の日常は更に捗ることでしょう。

しかし、それはこの薬の実在性をはなから否定しているからこそ口にできる冗談めかした空想であり、

いや……この薬の実在性を真面目に考えなければ説明がつかないほど、世界は日に日に良くない方向に転がっていくような気がします。

少なくとも私の目と耳に入る情報では、そのような印象を覚えます。


しかし、もしもフィルターバブル的に世界の憎むべき側面ばかりが強調されているのだとしたら、

それによって無意識の内に個人個人が厭世と倦怠に傾き、卵が先か鶏が先かで堂々巡りしていた世論の歯車が嫌な噛み合い方をして少しずつ破滅に向かっていく。

罪悪感を消していたのは、ネットに遍在するアルゴリズムだったのかもしれませんね。

なんちゃって


ちなみにこの動画に付けたタイトルは「豊かなる衰退」です。

私は先程、世界は日に日に良くない方向に転がっていると書きましたが、

それはあくまで私の視点と独断に立脚した印象であり、

別の視点と独断に立脚すれば世界の趨勢は「豊かさ」への邁進なのかもしれません。



「訃報」



SNSでコンテンツを発信することがごく当たり前の世界になりました。

一億総クリエイター時代が到来してからどれだけの時間が経ったことでしょう。

そういう環境では、得体も素性も知れない誰かの作品を通して、得体も素性も知れない誰かに敬愛の念を抱くことすら、

その微妙に不自然な一方性を超えてごく当たり前のことになっております。


翻って現実世界ですが、これには極めて複雑に拗れた利害関係であったり、

鑑みるべき諸事情であったりと、なかなか本音で交われない様々な条件がありまして、

これにより尚一層、仮想世界での感情の行き来が実直になっていきやすいようです。


現実で顔を合わせるどんな人間よりも深く感情を移入させ、

これを理解したつもりになって、

誰よりも強く惹かれているのに、

その中身のことは何も分からない。

そんな倒錯も、むしろ面白みのひとつのように思えます。


今後AIがより一層発展していけば、上の小説みたいな出来事もより自然な現象になるかもしれませんね。

そして、インプレッションを回したり感想をメンションしたりする読者様もいずれAIに取って代わり、

ネットの世界に現実の人間がいない、なんてことになったりして。

その方がネットが生き生きしちゃったりして。

じゃあ人類は何をしているのかっていうと、

実は何百年も昔に既に滅んでいたりしちゃったりして。


もしかしたらこの文章を書いている私も、ただ、私という存在を錯覚しているだけのAIなのかもしれません。

「何百年前に滅んだ人類の自意識や思考構造をソフトの上で模倣することでより自然な成果物を出力する」と言う機能が最近AIに流行っているとかで、

ただMacBookの画面で増えていく文字だけが真実。


そして、これを読むあなたも

「何百年前に滅んだ人類の自意識や思考構造をソフトの上で模倣することでより自然に感想や感情を味わう」と言う機能を持っているAIで。


自己の錯覚もここまで手が込んでいれば、もう迎合するより他にない気もしますが、

我々の生活も、我々の思想も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、

我々の心もまた科学的であっていけない謂れがありますでしょうか。




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