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【評価8.9/10】面積が織りなす集大成。「オーディンの祝祭」で立体的な悩ましさを堪能しよう。

  • 執筆者の写真: 下村ケイ
    下村ケイ
  • 1 日前
  • 読了時間: 19分

更新日:12 時間前


●ゲーム概要

毎ラウンド自動且つ固定で増員されるタイプのワカプレで、アクションの種類によって必要となるワーカー数が異なります。

7ラウンド終了時に一番勝利点を稼いだプレイヤーの勝ちです。



ご覧の通り、ボードの至る所に「-1」のマークが記載されています。あの手この手でかき集めたタイルをそこに配置していくことで個人ボード上の減点が0に近づいていきます。


それにプラスして加点要素を効率よく積み重ねていくことが、本作の主な目的になります。


●本題に入る前に





こちらはメインボードの写真ですが、膨大な数のアクションスペースが並んでおります。また箱の厚さは実に12センチを誇り、それは恐らく人類史上たった一度も暴力に使われたことのない唯一の鈍器でしょう。そんな箱に詰め込まれているコンポーネントの物量も他を圧倒するほどです。

それらの一つ一つを詳しく列挙したところでゲームの個性や魅力を十全に伝えられるとは思えません。なぜかと言うに、私が本作をプレイしながら感じる魅力の大半は「えも言われぬワクワク」だからです。それは文字通り「えも言われぬ」のですから、いたずらに言葉を重ねても本来の意図はむしろ不明瞭になってしまうことは想像に難くありません。


ただ、物書きとは概して言葉にしづらい何かを言葉にしようと頭をひねらせる生き物と相場が決まっており、幸か不幸か私はどうやら物書きらしいです。


素晴らしい何かを見つけたとき、それを自分だけの宝物にするのか。或いはその素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいという欲求に駆られるのかは人それぞれですが、少なくとも私はことボドゲに関する限り、後者の欲求を抱いた無数の先達のおかげで様々なボドゲと出会うことができました。それにより、人生がより充実した方向へと転がっていると断言することだってできます。


なので、私がオーディンの祝祭を遊んで感じるワクワクを言語化しようと試み、その結果として(大げさに言うのなら)誰かの人生を好転させる一助となれば幸いなのです。


と、息巻いてみたものの、やはり物事には自然な順序というものがあるようです。まずは比較的言葉にしやすいであろう「本作の特徴」をとりとめなく語ることで、少しずつ結論の輪郭を浮かび上がらせていこう、という書き方をしようと思います。


●特筆すべき特徴たち


①原材料から加工品へ。変幻自在のリソースマネジメントに垣間見える立体的な悩ましさ


通常のゲームにおけるリソースとは大抵「一次元」のものです。そのリソースを獲得するために必要な手順や、獲得した後でどう活用できるかで実に様々な個性付けがなされますが、あえて大雑把にまとめると、


持っているか。持っていないか。

或いは、少し持っているか。たくさん持っているか。


という「一次元的な」属性に帰結します。


対する本作に登場する無数のリソースは基本的な「木材」や「石材」などを除き、全て「二次元的な」ひろがりをもっています。


どういうことかというと……




言葉通りの意味です。


つまり、縦×横の面積を持っているのです。記事の冒頭で「個人ボード上で埋めるべき-1点」について書きましたが、お察しの通り「デカいリソース」は面積の分だけ「-1点を埋めることができる」=「勝利点を稼ぐことができる」なのです。


例によってアグリコラを引き合いに出しましょう。

序盤から取得可能な木材と、中盤からしか取得できない石材の間には漠然と「木材>石材」みたいな序列をやんわりと感じさせます。なので「累積木材3と累積石材3だったら、石材をとっておいたほうがいいな、、」という判断ができます。もしくは「木材が9本もある。さすがに木材をとるべきかな、、」という局面もあるでしょう。実に悩ましいですね。自分の農場の発展スタイルと要相談って感じです。


対するオーディンの祝祭には、資源そのものの有用性とは別の次元で「大小さまざまなタイルをできるだけみっちりと詰め込みたい」という思惑が存在します。(なぜなら収入を増やすためには隙間があってはならないというルールがあるからです。詳しくは後述します)



どうしてもこのラウンドでこの隙間を埋めておきたいとあなたが思うとき、あなたは目の前にぶらさがっている「デカいタイル」と「小さいタイル」のどちらを選ぶでしょうか。前者ならゲーム終了時に計上される得点が伸びますが、話が序盤なら目先の収入を優先させたほうがやれることが増えて最終的に点数が伸びるかもしれません。では中盤なら? 或いはどこまでを序盤とするのか? この問いに明白な正解などありません。だからこそ、延々と悩むことができ、自分が信じた正解のために頑張ることができるのです。

タイル配置というギミックはボードゲームにおいてそう特別なものではないように思いますが、ゲームを通じて収集される各種リソースそれ自体に二次元的な大きさがあり、その組み合わせの妙によって「複数の評価軸による悩ましさ」が生まれるのは、とても革新的なことのように思います。


電源ゲームがお好きだったら、似たような概念は既に経験しているかもです。(画像は拾いものです)
電源ゲームがお好きだったら、似たような概念は既に経験しているかもです。(画像は拾いものです)

さて、実を言うともうひとつ、更なる悩ましさを呼ぶ要素があります。


みなさん、リソースマネジメントはお好きですか。

例えば同作者さんの「アルルの丘」なんかには実に様々な資源が登場し、それ自体は先の言葉を借りるなら比較的「一次元的」とも言えますが、それらが相互に密接に関連しあいながらメインボードにて巧妙に散りばめられた結果として、とても奥行のあるゲーム世界を編み上げています。


参照:アルルの丘レビュー記事


そしてオーディンの祝祭にも、実に興味深い「リソースマネジメント」が組み込まれています。


それは何か。


リソースは加工するほど「色が改善される」のです。



冒頭で触れた個人ボードですが、なんでもかんでもタイルを置ける訳ではありません。上の写真の通り、各大きさごとにオレンジ色、赤色、緑色、青色の四色が存在します。オレンジを裏返すと赤、緑を裏返すと青、と言った具合です。


青が一番価値があって、オレンジが一番ありふれてる、というイメージです。アクションの中には「価値を一段階高める」というものもありまして、



このアクションを用いることで、赤色なら同じ大きさの緑色に、緑色なら同じ大きさの青色にレベルアップさせることができます。


そしてボードに配置できるのは緑色青色のみであり、

緑色緑色は縦横で隣接してはならないという決まりがあります。


以上のルールがどんなジレンマを生成し得るか。

ものすごく大雑把に要約すると、比較的手に入りやすい緑色で手っとり早くボードを埋めたいが、そうすると「縦横で隣接してはならない」というルールのためいずれ配置することすら覚束なくなってくる。かといってすべてを青色までレベルアップさせるなんて悠長なことをしているとろくにタイルを集められずにゲームが終わってしまう。


どこまでを加工するのか。

どこまでを加工せずに配置するのか。


先ほど書いた「二次元的な広がり」によって生まれる平面的な悩ましさに「加工の度合いという垂直方向のパラメータ」が加わることで、あたかも思考は三次元――立体的な迷路の中を駆け抜け続けるあんばいになります。


複雑なルールの膨大な物量で「どうだ、悩ましいだろう」とすることも可能ですが、本作において、そこにあるのはあくまで「緑色同士は隣接してはならない」というシンプルな決まりごとだけ。重量級がお好きなボードゲーマーは難しいことを好む傾向がありますが、いたずらな複雑さで理解そのものを困難にするのではなく、あくまで分かりやすく、それでいて難しい。という一見相反する属性を一枚のボードの上でタイル配置パズルとして表現したウヴェ氏はやっぱりすごいなと、思ってしまいます。


②ウヴェ氏史上、もっとも賑やかな食糧供給。その名は饗宴。


ところで。先程「ボードに配置できるのは緑色と青色だけ」と書きましたが、それではその前段階として存在するオレンジ色と赤色のタイルは何なのでしょうか。単に「加工しなければ得点行動に結びつかない、いわゆる素材でしかない」のか。




無論、答えはノーです。


いったん、話を変えます。


ボドゲの中で課されるノルマの類、私は嫌いじゃありません。よく「ボードゲーマーは大体マゾ気質」なんて冗談めかして語られますが、より正確に言うなら「マゾを疑われるような厳しい制約を、自分の知恵で乗りこなしたい」という欲求のことかと思われます。


そんな「ボードゲーマゾ属性」に目覚めるキッカケになったのもやはり同氏のアグリコラですが、その日食うのに困るような困窮状態から食料の安定供給体制を整えられた時のカタルシスたるや、散々擦るように引き合いに出して尚、愛せざるを得ない魅力のようなものがあります。恐らく似たようなことは世界各地で起こっているのでしょう。そんな訳でウヴェ氏のボドゲでは手を替え品を替えで「飯供給」と言う概念が幾たびも登場します。


そしてその例に漏れず本作でも毎ラウンドの終わりに「飯供給」が発生しますが、ヘッドラインにも書いた通りそれは「もっとも賑やかな食糧供給」と言っても過言ではない様相を呈しております。


手っとり早く言うなら、決して飯ノルマはキツくないです。ないのですが、当然のことながら話はそれで終わりません。


まずは飯供給に関するルールをご紹介させていただきます。




右に並んでるワーカーは毎ラウンドのはじめに使用可能エリアへと移動します。なのでラウンド毎に1マスずつスペースが広がっていくのですが、




ここに食料となるタイルを並べていきます。タイルに二次元的なサイズがあるからこそ、食糧供給の可否が可視化されております。


ここで、話は先ほどの「無論、ノーです」のあたりに戻ります。


上の画像をご覧になれば分かる通り、オレンジ色と赤色のタイルは全て食べられるものが書かれています。


つまり、食糧供給に用いることができるリソースはオレンジ色赤色だけなのです。


そして、この食糧供給にも配置ルールがあって、


1.同じ色を隣接させてはいけない

2.同じタイルを配置する場合、2枚目以降は縦向きになる


というものです。


ラウンドによっては開始時に「収穫」が発生して、一気に食糧タイルをが3枚以上湧いたりするのですが、それらは全てオレンジ色なので、




このように、適宜間に赤色を挟む必要があります。




(実を言うと本作でいうお金も1×1の資源という扱いなので食卓に並べられたりしますが、ここでは割愛させていただきます)


何かの記事で読んだのですが、ウヴェ氏はこの「饗宴」のアイデアをキッカケに本作を作り始めたそうです。


実際、面積を持つタイルを並べることで要求される飯を満たすという構造は、単なるノルマの視覚化に留まらず、特に先述した2点のルールを加味することで驚くほど豊かな個性を生み出すことに成功しています。


例えば、ここに塩漬け肉があります。




なんと4マスも埋められる上に赤色タイルのため、「収穫」でもらえるオレンジ色タイルと隣接させることができます。しかし、塩漬け肉ばかり食べてると体に悪いのでしょう。2枚目以降は縦向きになるため、わずか1マスしか満たすことができません。


また、ウヴェ氏が好きだという豆料理は正方形なので何枚並べてもちゃんと2マス分埋めることができます。


体に良い食べ物は何枚食べても美味しい。みたいなニュアンスなのでしょう。


という訳で、食糧供給自体はそこまで厳しくないのですが、とは言え一辺倒な集め方をしていると非効率的になってしまうのです。反対に、食材を上手にかき集め、効率良く饗宴を遂行することで発生する余剰の食糧は、適宜加工することで緑色のタイルにレベルアップし、今度は個人ボード上に配置することもできるようになります。


何より、饗宴が発生するたびあたかも「何を食べよか」とテーブルに食糧タイルを並べていく時間はとても楽しいですし、見た目にも華やかです。かろうじて作ることができたパンで食いつなぎ、直接点数が下がる原因になる家畜の肉をうんうん悩みながら食べるアグリコラの食事とは趣も方向性も違います。


まさに、饗宴なのです。


このように、様々な要素が緩やかに関連しあって=ミクロなパズルが連結してマクロなパズルの様相を呈しています。そんな中、プレイヤーは折り重なった思惑の内で自分の利益を最大化するべくアクションを選び決めていく訳ですが、詰まるところ「いかに個人ボードの隙間を埋めるか」と「いかに饗宴を執り行うか」というシンプルな目的に集約するため、はじめのうちは膨大なアクションの数に戸惑いこそあるものの、「なんべんやっても五里霧中」なんてことにはなりにくいです。そうなってくると、はじめのうちの戸惑いもむしろ魅力的な体験のように思います。


③収入とボーナスの存在。パズルを埋めるための分かりやすい動機と、その難しさ。


本作ではラウンドの終わりに「収入」と「ボーナス」が発生します。条件を満たしさえすればアクションを割かずとも定期的に受け取れる資源やお金というのは非常に便利且つ助かるものです。


では、その「条件」とは何なのか。


それは個人ボードを埋めることです。


プレイヤーは勝利点という最終的な目的のためにボードを埋めたいという動機を持ちますが、それと共に「収入を増やしたい」という短期的な目的のためにボードを埋めたいという動機も持つことになります。


長期的な動機と短期的な動機はそれぞれ戦略と戦術に結びつきます。そしてそのふたつが違和感なく混ざり合うことで、およそ2時間という短くない時間を夢中に過ごすことができるのです。


では、具体的に紹介させていただきます。




収入に関しては、ボード上で見えている数字の中で最小のものがラウンド毎にもらえます。


ただ、数字を隠す際には制限があります。


例えば、上の写真にて「2」の数字の上にタイルを置けるのは、




マークアップした矢印の上が全て埋まっていないといけません。なので必ずしも「面積さえあればいい」とならない局面もしばしばあります。また既に書いたとおり緑色のタイル同士は隣接できませんので、獲得とその加工を含む資源の運用に計画性が求められます。これがまた悩ましくもありまた楽しくもあるのです。


次にボーナスですが、こちらは周囲8マスを囲っていることが条件となります。


尚、このボーナスマスの上にタイルを置いてもルール上は問題ありません。


なので序盤に大きいタイルを獲得できた時などは、、



場合によってはボーナス利権をまるごと覆ってしまって手っ取り早く収入を上げる、と言う選択肢も可能な訳です。多少迂回してでもボーナス利権を確保するか。或いは収入を優先させるか――という具合に、パズルを単なるパズルだけに終始させない幅といいますか自由度といいますか。そこも本作の魅力だと思います。


赤い「ハチミツ酒」のボーナス利権を潰した代わりに、とりあえずこのラウンドから2金の収入が発生します。
赤い「ハチミツ酒」のボーナス利権を潰した代わりに、とりあえずこのラウンドから2金の収入が発生します。

他にもボードを拡張することで更なる得点やボーナスを得られる探検や、、



本来は配置できないオレンジ色や赤色のタイルを配置できる倉庫なんてものもあります。




また、特殊な形状のタイルも存在しており、



どれを獲得できるかを判定するためにダイスを振ったりします。

一見突拍子のない形状に見えますが、上の探検ボードの外周を埋めたり、ボーナス利権マスを囲ったりするのにとても便利なんですよね。


ちなみに「襲撃」や「略奪」などバイキングの世界観もりもりなアクションもあります。


という訳で、終盤やや駆け足になりましたが本作の特徴を語らせていただきました。そこそこ文字数が嵩んでしまったものの、ここでよくやく本題である「得も言われぬワクワク」の言語化を試みてみようとおもいます。


●ワクワクの言語化


※あくまで個人の感想であること、ご留意ください。


思うに、本作の魅力の本質は「可視化」にあると思われます。


①可視化された充実

②可視化された報酬


豊かさとはなんなのか。

例えば幸せ。例えば希望。例えば満ち足りたと言う感覚。大事なことは概して目に見えないことが多いです。そして目に見えないからこそ、時に人はその実在を疑います。疑惑の果てにあるのは不安です。不安のある人生はしんどいです。


その点、オーディンは「充実」と言う概念がボード上に「面積」として可視化されています。タイルに描かれた物品は見ているだけでわくわくする類のものですが、それが隙間なくびっしりと自分の陣地に敷き詰められている光景はとても愉快です。何故かと言うに、それは「可視化された豊かさ」だからです。


自分の策略がうまくいけば「ボードを覆っている面積の拡大」という形で視覚的にそれを確認することができます。それは文字通り「一目瞭然」であり、「なんとなく手応えはあるけど実際はそうじゃないかもしれない、、」という疑惑とは無縁です。


本来「勝利点」と呼ばれるものは、現実世界における「数」という概念と本質的に同じ……すなわち目で見て指で触れられるものではありません。ただ、それだと不便だから「数字」が編み出され、クラマートラックでカウントし、トークンをつまんで取り扱うのです。


オーディンの祝祭も他のほとんどのボードゲーム同様「勝利点を稼ぐこと」を究極的な目的とするゲームですが、そこにはクラマートラックも勝利点トークンもありません。なぜなら得点という概念とほぼイコールなボードと、それを覆う二次元的な広がりを持つタイルがあるからです。


頑張れば、疑いようのない視覚的情報としてそれが報われる。個人ボードは嘘をつきません。思わせぶりな態度もとりません。なぜなら、プレイヤーがタイルを配置したことで当初無数に並んでいた「-1点」が物理的に見えなくなっているのですから。


どんなに小さな一枚のタイルでも、それが目に見える形で「豊かさ」を表現し、それゆえの「勝利点」を表現する。思考よりも少しだけ早く認識される情報として。


だから、私は本作にワクワクしてしまうのかもしれません。


なんなら、隙間を埋めたくなるのは人の本能みたいなものである、なんて言説を持ち出してみてもいいかもしれません。とにもかくにも、ボードゲームにおいてはありふれた「タイル」の「面積」を厳密に定義してゲームの基本構造と密接に溶接したウヴェ氏は、やはり非凡な方なのでしょう。


、、、、私のワクワク、伝わりましたでしょうか。


●レビューチェックリスト


1:深さ/複雑さ

「意思決定において、どれほどの困難≒楽しさが伴うか」

4.5点。複数の評価軸がさながら二次元の平面上のよう存在しているため意思決定には常に困難≒楽しさが伴う。また主要メカニズムのひとつである個人ボード上のパズルは常に複数の魅力的な解法を見せるため、自分だけのやり方を模索する楽しさにあふれている。それでいて、いわゆる「かつかつさ」「苦しさ」「ままならなさ」はそこまででなく、全体を通じてアッパーなプレイ感があるため思っているより間口は広いのかもしれない。


2:メカニズム

「ゲームの設計はどれほど美しいか」

5点。リソースそれぞれに面積があり、その色によってシステム上もテーマ上も別個の個性が生まれる点は美しいと言って過言でないほどの完成度だ。また、他のどのウヴェ作品にも見られない独自の食糧供給システムも革新的であり、食事という光景の本質的な楽しさがいかんなく表現されている。全ての仕掛けに温度が通っていると思う。


3:相互作用

「他プレイヤーとの絡みの量、質」

3点。いわゆるオーソドックスなワカプレである。他のプレイヤーとの絡みはほぼメインボード上の場所の早取りに集約される。アクションスペースは膨大な数があるため、一見すると早取りの要素は緩いと思いがちだが、要所要所で効率の良い得点に結びつく「勘所」のようなものがあり、お互いの個人ボードの発展がうまくいくほど水面下でその勘所の奪い合いが発生する。そのため絡みが限定的とは言え、ソロプレイをしているような感覚はあまりない。


4:オリジナリティ

「戦略、メカニズム、テーマはどれほど新鮮でユニークか」

4.5点。本作を因数分解をすると、それぞれの要素それ自体はそう奇抜で目新しいものではないのかもしれない。ただ、それらが歯車を思わせる巧妙さで連結し、一つの世界観を作り上げている。そのバランス感覚も秀逸だし、リソースマネジメントやタイル配置パズルなど表面上の類似はいくらでも他に見つけることができるが、それらを高い水準でまとめあげた本作は唯一無二といっても過言でさないだろう。



5:ムード

「テーマやアートワークはボドゲ体験をどれほど彩るか」

5点。個人ボードの雰囲気も、饗宴と呼ばれる賑やかな食卓も、それらを彩るタイルのひとつに至るまで優れたアートワークが施され、ゲームを構成するどのピースも視覚的に魅力的だ。また(今回の記事では割愛させていただいたが)システム上で表現されたバイキングという生き様や文化をにおいたたせるフレーバーもばっちりと仕込まれており、それでいてそれらを単なるフレーバーで終わらせないルールの表現が素敵である。没頭し、夢中になれる奥行が確かにそこにある。


●主観的点数:4.5点(5点満点)

〇その理由

とても面白いし、それと同じくらいワクワクできる。アクションの数は膨大なため初回は戸惑ってしまうかもしれないが、厳しいノルマやペナルティの類いはなく総じてアッパーなプレイ感のため見た目ほどは苦しまないようになっている。ただ、一通りのアクションを把握して点数を意識しはじめると、途端に考えどころが多くなって難しくなっていく。何と何を組み合わせれば良いか。どのように動けばより効率的か。戦略を組み立てるためのパズルは非常に考えこたえがある。


アッパーなプレイ感と、追いかければ追いかけるほど戦略が広がる感じ。

プレイ回数を重ねることでそれらを統合させることができたなら、きっと奥深いヴァイキングの世界の虜になっていることだろう。


控えめに言ってもスペースをとりまくる巨大な箱や、セットアップの大変さや、必要となるスペースなど、ほいほい気軽に遊べるボドゲと言いづらいのが難点だが、それを補ってもあまりある面白さがある。ぜひ、体験してみていただきたい。



●評価点の算出方法

チェックリストの平均点+主観的点数


👉4.4点+4.5点=8.9点


●テーブル幅


我が家では縦60センチ×横120センチのテーブルを使用していますが、それだと結構手狭になってしまうので、無印の収納ボックスを積み重ねて拡張テーブルのようにしています。


だいたいその幅が20センチくらいなので、

縦60センチ×横140センチくらいあれば、とりあえずボードなどを重ねたりせずに並べることができるかと思います。


それより面積が少ない場合は、何かしらの工夫が必要になるかと思われます。

(ちなみに2人プレイでの話です。3人以上になったらさらに広いテーブルが必要になります、、)





●宣伝


・短編小説「常世の暁」

24時間夕焼けを見詰め続けていると、時に人は狂ってしまうらしい。

人々はビルの屋上から身投げをし、残された人間によってたくさんの詩が作られた。


昆虫学者として夕焼けの街に暮らす私は、

ある日、幻と呼ばれる蝶の話を耳にする。


(6000字程度。カクヨムにて公開中。画像をクリックすると該当ページに遷移します)



・生き抜け、専ら2人で。


——死ねば全ロスト

それでも僕らは闘う


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