ユーロゲームはプラスサムの夢を見るか。ジョンカンパニー、熱量の第一種接近遭遇。
- 下村ケイ

- 3月11日
- 読了時間: 6分

先日、ジョンカンパニーを2卓ほどプレイさせていただく機会に恵まれ
そこで目にした光景や体験はとても記憶に残るものばかりで、それをいつでも読み返せる形で保存するべく言語化しておきたいと思ったのが、この記事を執筆する主な動機です。
ジョンカンパニーはロールプレイに没頭し例えば一族の掲げる理念(=フレーバー)のために華々しく散ったりすることそれ自体を目的としてはおらず、むしろ辛酸を舐めようが人間性を疑われようが手を尽くし策を巡らせた結果として、あくまでゲーム終了時の勝利点を最大化しようとするゲームであります。
すなわち、ジョンカンパニーの本質はどこまで掘り進めてもユーロゲームなのです。
では何故私がインストの段階でTRPG的な誤謬を持つに至ったか。それはそのまま、これから本作をナラティブ主体のボドゲとして遊ぼうとしている方々へのリマインドにもなり得るだろうし、頑張って書いていきます(ちょっとビール飲みました)
ずばり、インストの段階で私が感じた印象とは、
控えめに言ってもつよつよなランダムネスに対するものが主でした。
今だからこそ敢えて言える言葉ですが、理詰めで計算しようがダイスの出目やカードの引きで容易にひっくり返ってしまう。と言う事実に過剰なほどの興味と抵抗を感じたのです。
つまりこれは、乱数に対する感情の起伏、ドラマの発火に焦点を置いたゲームなのではないかと。地道に計算をしたところで簡単にご破算になってしまうなら、極論するとそこまで真剣に計算しなくても良いのではないか。
そんな感じです。
なんか怒られそうですね。
ですがそのような思い違いを誘発しそうなディティールはいくつか存在します。
たとえば、ゲーム終了時に盤面にどの部分に作用して勝利点を足したり引いたりするカードの内何が出るか、それによって誰が沈み誰が浮上するかは完全なランダムであるし、
ことあるごとに社運(とそれに付随する複数人の私腹)を賭けたダイスロールを要求される。そこに至るまでのコストや手間を考えたら、通常の重量級のユーロゲームにあるまじきランダムネスに思える場面もしばしばでした。
ですが、そう言った懸念は全くの杞憂であったことをここに書き残しておきます。
つまりジョンカンパニーにはボードゲームの良い意味での誤謬と言いますか、
他の性質及び気質を持った様々なボドゲに対して実に異質な点がいくつもあり、
それが懸念を杞憂にした革新の焦点なのでしょう。
例えば、いわゆる僕のような、いろんなボドゲをかじってはいるけど、ジャンルを越境するような知見もなく、かといって特に何かの作品を深く掘り進めている訳でもない割とミーハーなボードゲーマーが思い浮かべる「ダイス運」と呼ばれる概念へのアプローチの一環として、今回はそのものずばり「ダイス運」について、先日M氏とやりとりした内容を一部引用させていただこうと思う。
『ウォーゲームなどの歴史ゲームはランダム要素であり、そこまでの過程が大切。 プレイヤーが動かす国などは絶対負けてはいけないという背景があり、負けてもいいからワンチャン30%で勝負というゲーム的な考えは無い。』
ボードゲームは点数という客観的な数値で勝敗を定義するため、「いかに負けないか」と「いかに勝つか」は限りなく等価であり可逆性のある裏表です。
自分が2点損するが、他プレイヤーが6点損をするなら勝利のためにはその動きもやむなし。とする価値観が成立する非常に戦略的な遊びです。
対するウォーゲームには、ミクロでは作戦に従事する兵士の命を取り扱い、よりマクロではそれこそ「絶対に負けてはいけない」国家の動きを取り扱います。ここに先程の等価性は成立せず、資源の損耗には不可逆の生死と言うテーマが付いて回ります。(あくまでイメージです)
話がそれてきましたが、まとめると「戦場の不確定要素を極力制御しようと努めつつも、それでも発生してしまう決定的な損失をいかに取り扱うか」と言うプレイを表現する上でダイス運が使われている、ということなのでしょう。
ではジョンカンパニーはどうか。私腹を肥やすべく入念に舞台を整えても尚発生してしまうファンブルに対して、どのような表現をしているか。
全く逆に思えるんですよね。
負けてもいいからワンちゃん30%で勝負、が許されないのがウォーゲームなら
負けてもいいからワンちゃん30%がひとつの選択肢になるのがジョンカンパニーなのです。
ジョンカンパニーのダイス運が主に介在する分野はふたつあります。(たぶん)
ひとつが私腹を肥やすための行動(軍事とか州知事とか)
ひとつが会社を肥やすための行動(無論、会社の都合の良いように動くため多少のお賃金はもらえる)
前者は今回の記事では一旦割愛しますが、
後者なんかはまさに「絶対倒産してはならない企業が倒産しないために奮闘する」と言う要素で一見、ウォーゲームにおける非等価性と不可逆性がありそうです。
でも、本作の目的はあくまでプレイヤー一族の繁栄であり、会社の経営すら勝利点逃げ切りの算段さえつけば積極的に倒産させることも許される世界観。そもそも大規模なダイスロールでファンブルしたとて大きなツケを払うのは大抵が「会社」であり、会社の形成に携わってる人間は例外を除いて案外けろっとしていたのかもしれない。
30%でも勝てるなら、プレイヤーはそれを交渉の材料にできるのです。
そして人間は希望や、さもなくば所属する企業の経営が健全化するかもしれないという大義のまえには見積が甘くなるものだし、
それがどの程度甘くなるのかはプレイヤーのロジックに一任されてるし、更に言えばロジックは必ずしも公平である必要は無いし、正確である必要もないんですよね。
ランダムネスによってプラスやマイナスによって大きく傾く舞台がありつつ、
その上でどういう押し合いへし合いをすれば自分だけが得をするかをシステムでやんわりと定義しつつも、その先の裁量をプレイヤーに一任することで強烈なインタラクションの揺らぎを発生させる。それ故にプレイヤーに無限の思考の奥行きを提供するが、熱に浮かされた人間から希望的観測に起死回生を目論見、ミクロで生じた綻びがやがてマクロな抗いようのないドラマをプレイヤーに突きつけていく。
そこがジョンカンパニーを異質にしている点のひとつだと、私は思っています。
本作はひたすら複雑なうえに、参加している全てのプレイヤーの交渉への理解度が求められる。ボードゲームが複雑化する中で積極的にオミットされた概念を今一度復古しつつも、その揺らぎや強烈なインタラクションが尚、多人数ユーロゲームみたいな枠組みのなかで奇跡的な調和をなしている。異質がボドゲシーンに対する本当の意味でもシンギュラリティとなるかは、このゲームをプレイした人間がどれだけ布教し、それこそ説得できるかにかかっていると思う。
だが安心してほしい。この記事を書くうえで、正確かはさておき、公平は期したつもりであります。


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